イシヅヤシン OFFICIAL BLOG「叙情詩の種」

日々の出来事や物語、歌詞などを書きます。

【物語】〇〇っぽいモノ作り

この世の中は〇〇っぽいで溢れている。
今日の天気はいつかのあの日っぽい曇り空だし、ランチは有名なラーメン店の味っぽい全然違う店のラーメンを食べ、隣にいる人は人気アイドルっぽいメイクをして、私はサラリーマンっぽい清潔感のあるスーツを着ている。

「人は・・・特に日本人は失敗を恐れる傾向が強い。」
昔、大学の授業で教授が言っていた言葉を今でもたまに思い出す。
当時は怖いもの知らずな若干19歳だったので「本当にそうか?」と疑問を抱いたが、今ではその言葉が痛いほど理解できた。

この世の中を見渡すと「成功」に対して異様なまでの執着を感じる。
成功したものに人々はひどく敏感で、その流れを感じとるとすぐにそれを取り入れようとする。
「二番煎じ」というのはあまり良い意味で使われない言葉だが、今この国は当たり前に二番煎じ、三番煎じで溢れているのだ。

テクノ系のアイドルが大ヒットすれば、こぞってたくさんのアーティストがテクノ系の曲をリリースするし、ひとつのゆるキャラが人気になると、こぞって多くの県や市町村が新たにキャラクターを考案する。

なるほど、確かに世の中には失敗を恐れる人が多くいるのかもしれない。
かくいう私も昔は何か新しいことに挑戦してみたくて色々試したがどれもうまくいかなかった。

だから私は自分の会社を作った。
「〇〇っぽいモノ作り」という会社だ。
その名の通り、なにかっぽいものを作り売っている。

二番煎じを商売にしてみようと思い立ったのだ。まだ私を含めて社員5名の小さな会社だが、それなりに仕事はいただけるし、社員もかなり優秀だ。

依頼主は様々だが、その多くはやはり「失敗したくない人」で、
大きな成功は望んでおらず、とにかく失敗というリスクを避けたいという人が集まる。
所謂、ローリスクローリターンというやつだ。

ちなみに、大きな成功をするにはまずその分野におけるパイオニアであること、もしくはそのパイオニアを超える実績が出せることが求められる。
どちらも大きな壁があるのだ。

まだ誰も手をつけていない事業をするということは、その分周りからの注目度も低い。
よって、仮に画期的なものを生み出せたとしてもそれが広く認知されるまで時間がかかる。
また、生み出すことと、認知される為に動くことは全く別の労力が必要な為、さらに難しくなる。

すでにパイオニアが存在するものであれば比較的認知度は高まりやすいが、どうしたって「二番煎じ」というレッテルが貼られ、それを超えるのは容易なことではない。

音楽におけるミスチルっぽいバンドや曲をどれだけ見て聴いてきただろう?
ラーメンで言えば、全く二郎ラーメンと関わりのない二郎系ラーメンはいくつあるだろう?

結局みなその「何かっぽい」の中で新しい要素を見つけようと試行錯誤している。

何かっぽいというのはある種の保険でもある。
「全く知らないもの」よりも「有名な何かに近いもの」の方が遥かに安心して手を伸ばせるからだ。

だから私はこの会社を作った。

我々の業務は大きく分けて、リサーチ・制作・販売の3つに分類される。
依頼内容の多くは有名な何かの二番煎じを上手に作って欲しいというものだ。

エンタメ、飲食、ファッション、IT・・・それぞれのプロフェッショナルが我が社にはいるため、専門的な依頼にも幅広く応えられている。

「そこそこ売れる曲が欲しい!」という依頼には、エンタメ担当で元音楽レーベルに勤めていた辻井さんが徹底的に売れている曲をリサーチして制作し、「そこそこ美味しいパスタ屋を開きたい」という依頼には飲食担当の元三つ星フランス料理店シェフの岡田さんが手を尽くす。
同じようにファッションは元モデルの明里ちゃんが、ITではいくつもの会社を成功させた実績のある奥寺さんがそれぞれ担当している。

そして私は特に何かの専門というわけではないが、それぞれの分野でリサーチや制作のサポートをしたり、新しい波をいち早く察知できるよう様々な分野の人と交流をしたりするのが仕事だ。

予め提言しておくが、私はこの仕事にそこそこ満足している。
依頼もまずまずの数があるし、収入にも困らない。優秀な仲間にも恵まれ、生活も比較的豊かだと言えるだろう。
しかし、この前辻井さんに「社長はこの仕事楽しんでますか?」と聞かれた時、私ははっきりと答えられず、「えぇ、まぁ、、。」と語尾を濁してしまった。

なぜ、あんなはっきりしない返事をしてしまったのだろう。
私は楽しめていないのか?何か不満があるのか?

・・・世の中には不満がある。

誰か、もっと新しく刺激的な何かを生み出してくれと思っているし、せっかく作ったものを売り出す努力を怠らないでくれとも思う。
消費者は新しいものに触れる勇気を持ってくれと感じるし、〇〇っぽくていいね!なんて言葉が褒め言葉じゃない世の中になってくれと切に願っている。


でも、“誰か”って誰だろう・・・。
私はその“誰か”になるのを諦めた人間だ。だから二番煎じ万歳と思っているし、仕事にもしている。しかし、このままでいいのだろうか?

この会社こそが新しいものを生み出せるようにしていくことはできないのだろうか。

幸い1を10にも100にもできる社員は4人もいる。私が0から1を生み出せれば・・・。

できるだろうか?いや、無理だろう。
失敗するのが目に見えている。

いつかの教授の言葉がまた脳裏を過ぎる。

なるほど、確かに挑戦というのは恐ろしいものだ。


私は今日も〇〇っぽいものを作っている。
新しい何かを作れる日を夢みながら。






今日の物語のテーマは二番煎じ。
思っているより遥かに多く存在するものだと思います。
自分はミュージシャンなので、よりその流れは感じるのかもしれません。
人の演奏を見ていたり、作曲をしてても、「これは誰かっぽいなぁ」と思うことも少なくないです。
むしろ、〇〇みたいな感じの曲を書いて!という依頼も多くあります。
いいか悪いかではなく、これが現状です。

「あぁ、やられた!!それがあったか!!」という音楽を生み出したい。
僕にしかできない、歌えない音楽をしたいです。
でも厳密にはもうやっているとも言えるし、そんなものはないとも言える。それはわかっているんです。
結局良しとされる枠の中でオリジナリティを出すしかない。

でも、その枠を広げることはできるし、違う枠から持ってくることもできる。
そしてそのうち、新しい枠を作ることもできると信じてやっていきたい。

〇〇っぽいじゃなく、自分らしいものが多く必要とされるよう頑張ります!